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NINJA
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こちらの記事、昨年末にどちらかで触れた気がするが、年度末には時期外れな気がするのは自分だけか?
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実家でも年末になるとタンスの上に埃をかぶったプリントゴッコが取り出される光景があった私の幼少期。「お前も自分でデザインしてつくれ!」「年賀状かかない人間なんて信じられねえ。そんな人間には絶対なるなよ!笑われるだけだ」「まだ完成してねえのか?いつになったらできんだよ?」子供に自主性を育ませたいと思っているが、実は自分のコントロール欲を満たすイベントでしかなかった、脅迫的な父親主導による年賀状作成。子供に冷や汗をかかせ、怯えの記憶しかないとはつゆにも思わない父親。インクを敷いて、プリントをセットしてランプをはめて、力一杯ハンドルを押す。するとピカッという眩しい光が放たれ、焼けたランプのわずかな煙りと独特の臭いが鼻先に届く。今年も終わる…確かに、あのプリントゴッコには季節の風物詩的な記憶を視覚に嗅覚に刻んでいる。幼少期に深く刷り込まれる。
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もう中学時代からは手書き程度で、父親のプリントゴッコ=親子ゴッコにはかかわらなくなった。その後、パソコンが我が家にも普及してからは、まったく年賀状についての会話もなくなった。
公務員だった両親は多かったのか少なかったのか、それぞれ百枚以上をプリントゴッコで押して、廊下に広げてインクを乾かしていた。定年退職した今は、半分以下に減ったとの話は聞いたが、もう別に生活しているので、彼らがどう年賀状を作成して、または受け取っているのかはしらない。

プリントゴッコが消えるということは、私が両親と関わりを持たなくなる絆の消失とも重なる。子育てや教育と、コントロールは異なる。あれほど管理されてプリントゴッコで年賀状をつくらされた少年時代。
もう30後半となる今、どうか?嬉々として年賀状作成を拒否する自分がいる。子育てに間違いがあるということ、そして子供を持つのにふさわしくない人がこの世界には確実に存在する。実家と年賀状、そしてプリントゴッコの記憶にそんなことを思う。
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